沿革
Ⅰ.チャーチ・オブ・ゴッドの前史
チャーチ・オブ・ゴッドの創立者レイモンド・シェルホン師は米国進駐軍の兵士として在日中にイエス・キリストを信じてクリスチャンとなり、宣教師となるべく召命をうけました。
除隊後、郷里オハイオ州シンシナチにあるインター・デノミネーション・ホーリネスとして設立された、ゴッド・バイブル・スクールに入学しました。
学業の途中、東洋宣教会のヘイゼル女史の火を吐くようなメッセージにふれて聖書学校の学びを中断して今すぐ日本に渡るべことを示され再び米国陸軍に入隊しました。
こうして1950年2月4日、シェルホンは再び日本の地に立つことになりました。
ところが1950年5月、朝鮮戦争が勃発し、レイモンドも約1年間、朝鮮戦争に従軍したましたが、1951年7月、朝鮮での任務を終えて日本に戻り兵士の身分のまま宣教活動に入りました。
その一つが 川崎市 堀之内にある 川崎市 民米語学校の一室で開いたバイブル・クラスだったのです。
これを発端として1951年8月26日の聖日に小さな礼拝を持つにいたりました。
これが川崎キリスト教会の、そして後に起こされるチャーチ・オブ・ゴッドの最初の礼拝なのです。
Ⅱ.川崎市民米語学校から砂子町の集会道を経て中幸町の新会堂へ
1952年11月16日、 川崎市 民米語学校から砂子町の新集会堂に移り、最初の礼拝と献堂式が行われました。
それは新しい時代の幕開けとなりました。
年が明けて1953年2月6日、シェルホン師は米国陸軍から現地除隊の許可を受け軍籍を離れました。
そして全時間を主に捧げて奉仕できるようになったのです。
1954年、新会堂建設を祈り始めました。
未伝地の駅西口に土地を求め 川崎市幸区中幸町4丁目21番地 に約80坪の土地を購入することができました。
1955年6月26日、定礎式を終えて会堂建設に取りかかり、1955年9月11日、喜びのうちに献堂式をおこないました。
Ⅲ.米国COGベイデン教会との提携
1958年は、COGの群れにとって転機となった年です。
群れの発展のためには日本人の働き人を、と祈っていた祈りが応えられて最初の献身者3名が起こされました。
この年の5月12日、シェルホン師は野田美智子姉と結婚して7月12日ご夫妻はアメリカに渡りました。
それは今後の働きの更なる展開を期待してのことでした。
米国滞在中 シェルホン師夫妻は米国COGが主催するイリノイ州クインシーのバイブル・キャンプに出席しました。
そこでベイデン教会の牧師であるH・グッドリック師をはじめ、同教会の役員をされていたウイリアム・フィンキー兄に出会いました。
そしてグッドリック師の招きを受けてベイデン教会を訪れることになったのです。
ベイデン教会は役員会を開いてシェルホン師の働きについて協議を重ね、シェルホン師夫妻をベイデン教会員として受け入れ、改めて日本の宣教師として派遣することを衆議一決したのでした。
Ⅳ.修養会
COGの歴史を語るのに欠いてはならないものに、毎年持たれている修養会を挙げなければならないでしょう。
現在は東北、関東、中部、メキシコの四箇所で開催されていますが、初期はもちろん一箇所でした。
第1回目の修養会は1958年でした。
講師は舟喜拓生師。
会場は東久留米にあるクリスチャン・アカデミーでした。
第2回目は、1960年に葉山にあるYWCAレーシー記念館で行なわれました。
この時の講師は、柴又ホーリネス教会牧師・本郷善次郎師でした。
COGのその後の修養会における霊的方向づけは、この時から始まったといえるでしょう。
本郷善次郎師にはその後も続いて第3回目、第4回目とご指導をいただきました。
第5回目からはCOGの教役者が担当するようになりました。
10回目(1968年)から会場を奥多摩の古里「福音の家」に移して行なわれました。
当時は教区制がなかったので、山形県から、 石川県津幡町から、三重県 錦町 から兄弟姉妹がこの日を楽しみにして集まり、別れるときは「来年も古里で会いましょう」を合言葉にしていました。
1978年の第20回から東北修養会が行なわれるようになり、1990年からは中部修養会も行なわれるようになりました。
メキシコ・グアダラハラ教会でも1998年から修養会を持っています。
(*COGの歴史より)
COGの歴史(続編)
【後続神学生の輩出と開拓伝道による地方教会の設立】
最初の3人の神学生に続き、後続の献身者が次々に起こされて神学校に送ることが出来たことは、今日のCOGを作り上げた大きな要因となっています。
神学校を卒業した彼らは開拓伝道に着手したのです。
大江町教会、川崎南部教会、酒田教会、津幡教会、横浜港南教会、東戸塚教会、御幸教会、錦教会、松阪教会、グアダラハラ教会、鶴岡教会、春日井栄光教会、仙台教会、ホサナ教会の順で教会が建て上げられて今日にいたっています。
それぞれの教会の設立には、それぞれのエキサイテングな物語があります。
それは人間の側の物語であると同時に神の物語なのです。
【創群50周年を記念して】
2001年9月24日、チャーチ・オブ・ゴッドは創立50周年を記念して「COG創立50周年記念会」を開催しました。
内外の友好諸団体から多くの来賓とアメリカ・ベイデン教会からドナルド・シャープ牧師、デビー夫人、パウロ・フィンキー兄が出席されました。
記念会は三部構成で「創立記念式典」、「愛餐会」、「記念聖会」でした。
記念式典では過去50年の歴史が検証され、総理レイモンド・シェルホン師ご夫妻とドロシー・ラバトウ宣教師に対する顕彰が行われました。
また青年たちによる「21世紀への提言」が読み上げられました。
最後に実行委員長の伊藤昭吉師によって「立て、渡れ、行け」と題してヨシュア記1章からメッセージが語られ一同献身を新たにしたのです。
「愛餐会」は終始和やかな雰囲気の中で楽しいひと時でした。
夜の「記念聖会」は説教者はインマヌエル船橋教会牧師、竿代忠一師でした。
また創立50周年を記念して記念誌「前のものに向かって」が発行されました。
109ページの小冊子ではありますが、「歴史篇」「各教会篇」「資料篇」の三部からなっていて、グラビア、写真が多く、一目で過去半世紀にわたるチャーチ・オブ・ゴッドの歴史を分かるように編集されています。
【教団指導者の交替とシェルホン師の召天】
2002年3月に持たれた第8回定例総会において、チャーチ・オブ・ゴッド代表役員の改選が行われました。
その結果、伊藤昭吉師が第二代目代表役員(理事長も兼任)として選出されました。
かねてよりシェルホン師から高齢と健康上の理由で代表役員及び総理職の辞任を申し出られていたからです。
シェルホン師は体力にまだ余力を残している間に次の指導者に総理職を譲りその推移を見守っていたいという考えを持っていたようです。
2004年1月24日7時57分、レイモンド・シェルホン師は闘病の末、愛してやまなかった主イエス様と共なるために天に召されました。
76歳でした。
葬儀は前夜式、告別式とも伊藤昭吉理事長の司式のもとに執り行われ、厳しい寒さの中にもかかわらず、教団の内外から多くの会葬者が集い、それぞれの思いの中に生きているシェルホン師との出会いを胸に別れを惜しんだのです。
2005年3月の第11回定例年次総会で代表役員の改選が行われ、古波津保秀師が第三代目の代表役員(理事長)として選出されました。
ベイデン教会ではシェルホン師の召天を機に2004年7月21日にセミ年次総会を開催して美智子・シェルホン師を改めて宣教師と認定して日本に派遣する事と、祈りと経済のサポートを継続して行うことを決議しています。
以下に美智子師に贈られた動議文の盾から全文を記して「チャーチ・オブ・ゴッドの歴史」を閉じることにします。
【Motion of Support for Japan Mission】
We the Church of God At Baden reaffirm our commitment to the mission work in Japan.
This work begun by Brother Shelhorn continues to spread the Gospel and bring people to Christ.
In recognition of this important work and by a vote of the Church body at our Semi-annual meeting, July 21 2004, agree to continue this important work with our prayers and our financial support.
We furthermore designate Michiko Shelhorn as our missionary in the field.
Church of God at Baden
Pastor Donald・C・Sharp
【終わりに】
思えば1946年、一人の少年兵士が艦上で抱いた日本人に対する素朴な思いが、神のみこころの中で練られて、やがてチャーチ・オブ・ゴッドという群れとなりました。
シェルホン師が口癖のように言った言葉は「自分には最初からこのようなチャーチ・オブ・ゴッドの群れを創ろうという考えはありませんでした。ただその時その時の主のみこころに一歩一歩従っただけでした。」
そして「これはこれからも変わらない」ということでした。
まさにシェルホン師の一生はそのお言葉の通り主のみこころを大切にして忠実に従って来られた生涯でした。
彼はアメリカに住むよりも長く日本に住み、そして愛してやまない日本の地に葬られています。
・・・シェルホン師が座右の銘としていた言葉・・・
Only one life will soon be passed Only what's done for Christ Will last
人生はすぐに過ぎ去る、 キリストのためになされた事だけが 永遠に残る。
チャーチ・オブ・ゴッドの創立者レイモンド・シェルホン師は米国進駐軍の兵士として在日中にイエス・キリストを信じてクリスチャンとなり、宣教師となるべく召命をうけました。
除隊後、郷里オハイオ州シンシナチにあるインター・デノミネーション・ホーリネスとして設立された、ゴッド・バイブル・スクールに入学しました。
学業の途中、東洋宣教会のヘイゼル女史の火を吐くようなメッセージにふれて聖書学校の学びを中断して今すぐ日本に渡るべことを示され再び米国陸軍に入隊しました。
こうして1950年2月4日、シェルホンは再び日本の地に立つことになりました。
ところが1950年5月、朝鮮戦争が勃発し、レイモンドも約1年間、朝鮮戦争に従軍したましたが、1951年7月、朝鮮での任務を終えて日本に戻り兵士の身分のまま宣教活動に入りました。
その一つが 川崎市 堀之内にある 川崎市 民米語学校の一室で開いたバイブル・クラスだったのです。
これを発端として1951年8月26日の聖日に小さな礼拝を持つにいたりました。
これが川崎キリスト教会の、そして後に起こされるチャーチ・オブ・ゴッドの最初の礼拝なのです。
Ⅱ.川崎市民米語学校から砂子町の集会道を経て中幸町の新会堂へ
1952年11月16日、 川崎市 民米語学校から砂子町の新集会堂に移り、最初の礼拝と献堂式が行われました。
それは新しい時代の幕開けとなりました。
年が明けて1953年2月6日、シェルホン師は米国陸軍から現地除隊の許可を受け軍籍を離れました。
そして全時間を主に捧げて奉仕できるようになったのです。
1954年、新会堂建設を祈り始めました。
未伝地の駅西口に土地を求め 川崎市幸区中幸町4丁目21番地 に約80坪の土地を購入することができました。
1955年6月26日、定礎式を終えて会堂建設に取りかかり、1955年9月11日、喜びのうちに献堂式をおこないました。
Ⅲ.米国COGベイデン教会との提携
1958年は、COGの群れにとって転機となった年です。
群れの発展のためには日本人の働き人を、と祈っていた祈りが応えられて最初の献身者3名が起こされました。
この年の5月12日、シェルホン師は野田美智子姉と結婚して7月12日ご夫妻はアメリカに渡りました。
それは今後の働きの更なる展開を期待してのことでした。
米国滞在中 シェルホン師夫妻は米国COGが主催するイリノイ州クインシーのバイブル・キャンプに出席しました。
そこでベイデン教会の牧師であるH・グッドリック師をはじめ、同教会の役員をされていたウイリアム・フィンキー兄に出会いました。
そしてグッドリック師の招きを受けてベイデン教会を訪れることになったのです。
ベイデン教会は役員会を開いてシェルホン師の働きについて協議を重ね、シェルホン師夫妻をベイデン教会員として受け入れ、改めて日本の宣教師として派遣することを衆議一決したのでした。
Ⅳ.修養会
COGの歴史を語るのに欠いてはならないものに、毎年持たれている修養会を挙げなければならないでしょう。
現在は東北、関東、中部、メキシコの四箇所で開催されていますが、初期はもちろん一箇所でした。
第1回目の修養会は1958年でした。
講師は舟喜拓生師。
会場は東久留米にあるクリスチャン・アカデミーでした。
第2回目は、1960年に葉山にあるYWCAレーシー記念館で行なわれました。
この時の講師は、柴又ホーリネス教会牧師・本郷善次郎師でした。
COGのその後の修養会における霊的方向づけは、この時から始まったといえるでしょう。
本郷善次郎師にはその後も続いて第3回目、第4回目とご指導をいただきました。
第5回目からはCOGの教役者が担当するようになりました。
10回目(1968年)から会場を奥多摩の古里「福音の家」に移して行なわれました。
当時は教区制がなかったので、山形県から、 石川県津幡町から、三重県 錦町 から兄弟姉妹がこの日を楽しみにして集まり、別れるときは「来年も古里で会いましょう」を合言葉にしていました。
1978年の第20回から東北修養会が行なわれるようになり、1990年からは中部修養会も行なわれるようになりました。
メキシコ・グアダラハラ教会でも1998年から修養会を持っています。
(*COGの歴史より)
COGの歴史(続編)
【後続神学生の輩出と開拓伝道による地方教会の設立】
最初の3人の神学生に続き、後続の献身者が次々に起こされて神学校に送ることが出来たことは、今日のCOGを作り上げた大きな要因となっています。
神学校を卒業した彼らは開拓伝道に着手したのです。
大江町教会、川崎南部教会、酒田教会、津幡教会、横浜港南教会、東戸塚教会、御幸教会、錦教会、松阪教会、グアダラハラ教会、鶴岡教会、春日井栄光教会、仙台教会、ホサナ教会の順で教会が建て上げられて今日にいたっています。
それぞれの教会の設立には、それぞれのエキサイテングな物語があります。
それは人間の側の物語であると同時に神の物語なのです。
【創群50周年を記念して】
2001年9月24日、チャーチ・オブ・ゴッドは創立50周年を記念して「COG創立50周年記念会」を開催しました。
内外の友好諸団体から多くの来賓とアメリカ・ベイデン教会からドナルド・シャープ牧師、デビー夫人、パウロ・フィンキー兄が出席されました。
記念会は三部構成で「創立記念式典」、「愛餐会」、「記念聖会」でした。
記念式典では過去50年の歴史が検証され、総理レイモンド・シェルホン師ご夫妻とドロシー・ラバトウ宣教師に対する顕彰が行われました。
また青年たちによる「21世紀への提言」が読み上げられました。
最後に実行委員長の伊藤昭吉師によって「立て、渡れ、行け」と題してヨシュア記1章からメッセージが語られ一同献身を新たにしたのです。
「愛餐会」は終始和やかな雰囲気の中で楽しいひと時でした。
夜の「記念聖会」は説教者はインマヌエル船橋教会牧師、竿代忠一師でした。
また創立50周年を記念して記念誌「前のものに向かって」が発行されました。
109ページの小冊子ではありますが、「歴史篇」「各教会篇」「資料篇」の三部からなっていて、グラビア、写真が多く、一目で過去半世紀にわたるチャーチ・オブ・ゴッドの歴史を分かるように編集されています。
【教団指導者の交替とシェルホン師の召天】
2002年3月に持たれた第8回定例総会において、チャーチ・オブ・ゴッド代表役員の改選が行われました。
その結果、伊藤昭吉師が第二代目代表役員(理事長も兼任)として選出されました。
かねてよりシェルホン師から高齢と健康上の理由で代表役員及び総理職の辞任を申し出られていたからです。
シェルホン師は体力にまだ余力を残している間に次の指導者に総理職を譲りその推移を見守っていたいという考えを持っていたようです。
2004年1月24日7時57分、レイモンド・シェルホン師は闘病の末、愛してやまなかった主イエス様と共なるために天に召されました。
76歳でした。
葬儀は前夜式、告別式とも伊藤昭吉理事長の司式のもとに執り行われ、厳しい寒さの中にもかかわらず、教団の内外から多くの会葬者が集い、それぞれの思いの中に生きているシェルホン師との出会いを胸に別れを惜しんだのです。
2005年3月の第11回定例年次総会で代表役員の改選が行われ、古波津保秀師が第三代目の代表役員(理事長)として選出されました。
ベイデン教会ではシェルホン師の召天を機に2004年7月21日にセミ年次総会を開催して美智子・シェルホン師を改めて宣教師と認定して日本に派遣する事と、祈りと経済のサポートを継続して行うことを決議しています。
以下に美智子師に贈られた動議文の盾から全文を記して「チャーチ・オブ・ゴッドの歴史」を閉じることにします。
【Motion of Support for Japan Mission】
We the Church of God At Baden reaffirm our commitment to the mission work in Japan.
This work begun by Brother Shelhorn continues to spread the Gospel and bring people to Christ.
In recognition of this important work and by a vote of the Church body at our Semi-annual meeting, July 21 2004, agree to continue this important work with our prayers and our financial support.
We furthermore designate Michiko Shelhorn as our missionary in the field.
Church of God at Baden
Pastor Donald・C・Sharp
【終わりに】
思えば1946年、一人の少年兵士が艦上で抱いた日本人に対する素朴な思いが、神のみこころの中で練られて、やがてチャーチ・オブ・ゴッドという群れとなりました。
シェルホン師が口癖のように言った言葉は「自分には最初からこのようなチャーチ・オブ・ゴッドの群れを創ろうという考えはありませんでした。ただその時その時の主のみこころに一歩一歩従っただけでした。」
そして「これはこれからも変わらない」ということでした。
まさにシェルホン師の一生はそのお言葉の通り主のみこころを大切にして忠実に従って来られた生涯でした。
彼はアメリカに住むよりも長く日本に住み、そして愛してやまない日本の地に葬られています。
・・・シェルホン師が座右の銘としていた言葉・・・
Only one life will soon be passed Only what's done for Christ Will last
人生はすぐに過ぎ去る、 キリストのためになされた事だけが 永遠に残る。