■チャーチ・オブ・ゴッド(COG)の信仰の特色は何でしょうか。それは聖書信仰と「チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念」に表現されています。すなわち「福音の宣教」、「聖潔の生涯」、「教会の形成」です。
1 聖書信仰
■聖書信仰とは、「旧新約聖書は誤りなき神のことばであり、信仰と生活の基準である。」と告白 する信仰です。「チャーチ・オブ・ゴッド聖書教理」聖書の項に私たちの聖書に対する信仰を明記しています。それは以下の通りです。「旧・新約聖書は、それぞれの著者によって記されたとき、神の霊感を受け、聖霊の充全な指導のもとに記述され、原典において絶対、完全、永遠、無謬であり、信仰と生活における最高、最終的唯一の規範である。」
2 チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念
■チャーチ・オブ・ゴッド(COG)の信仰の特色のもう一つは「チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念」に表現されています。即ち「福音の宣教」、「聖潔の生涯」、「教会の形成」です。
① 福音の宣教
■チャーチ・オブ・ゴッド(COG)はその創群のときから一貫して宣教的な群れです。一人の宣 教師の熱烈な魂を愛する愛から生まれた教団です。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ116:15)と主イエス様が命じられたみ言葉に従い、福音の宣教こそが神からCOGに託された大使命であると受け止めてきました。事実、COGが歩んできた道は文字通り福音の宣教に仕えてきた道であります。そしてこれからもたゆむことなく歩み続ける道であります。
② 聖潔の生涯
■キリストの十字架による贖いによって罪を赦された者が、さらにまされる第二の恵みとして、私たちに与えられている聖潔(ホーリネス)に進むことは、聖書全体にわたって教えられている真理です。ホーリネスに至らない救いは完全ではありません。チャーチ・オブ・ゴッドの群れは、その創立のときからこの教理に立ってきました。「聖潔の生涯」とは教理の理解(神学的にはウェスレー的アルメニアン神学)においても、実践の生涯においてもチャーチ・オブ・ゴッドの中核となる基本理念です。それはおおむね次のように理解するとよいでしょう。人はキリストを信じたとき、罪を赦され救われ義とされます(義認の恵み)。これは行為の罪からの完全な救いです。しかし、人間の性質の罪(Inbred Sin)、即ち「罪の根、古い人、肉の性質」などと表現されている罪は赦しの対象というよりは聖潔を必要とする罪です。聖潔とはこの性質の罪が十字架につけられて滅ぼされ、キリストにあっていのちに生きる事です。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20) そしてキリストを内に住まわせて生きる生活です。「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでくださいますように。」(エペソ3:17) この聖潔の恵みは信仰によって十字架を仰ぐとき、転機的に経験する恵みです。しかし、聖潔の経験は固定的、静的な経験ではなく絶えず成長し続ける動的(ダイナミック)な経験です。そのためには恩寵の手段といわれる聖書拝読、祈り、聖霊の御声への聴従、公会(礼拝、祈祷会、伝道集会等)の出席を心がけることが大切です。「聖潔の生涯」とは、聖潔の転機的体験に重きをおくだけでなく、私たちが聖潔の恩寵の中に日常的に生活することの大切さを示しています。
③ 教会の形成
■「福音の宣教」の結果、人が救われ、「聖潔の生涯」に進むなら、そこに必然的にキリストのからだである「教会の形成」がなされます。救いも聖潔も個人的経験ですが、この救いを受けた者は神の教会(エクレシヤ)を形づくる者とされたのです。 「教会はキリストのからだであり。」(エペソ1:23)、 「…ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12:27)という聖句はそのことを表しています。これは目に見えない不可視的教会(時代、地域を越えて存在する普遍的教会)という概念に留まらないで、目に見える可視的教会(地上に空間を占める地域教会、チャーチ・オブ・ゴッドもその一つ)という具体的な教会を形作ることを意味します。 「福音の宣教」は「聖潔の生涯」に進み、「聖潔の生涯」は「教会の形成」という具体的な形となって結実します。信仰とは単なる実存的な出来事ではありません。具体的に「教会の形成」となって現れるのです。 チャーチ・オブ・ゴッドの群れはこの点において明確な理念をもって教会形成に臨んでいます。福音の宣教⇒聖潔の生涯⇒教会形成の図式は循環して最初の「福音の宣教」の主体となるのです。つまりそれぞれ次の働きの主体となって連続的循環的働きを生むのです。この循環は教会が主の再臨によって天に上げられるまで繰り返される働きです。
(※「COGの神学」より)
1 聖書信仰
■聖書信仰とは、「旧新約聖書は誤りなき神のことばであり、信仰と生活の基準である。」と告白 する信仰です。「チャーチ・オブ・ゴッド聖書教理」聖書の項に私たちの聖書に対する信仰を明記しています。それは以下の通りです。「旧・新約聖書は、それぞれの著者によって記されたとき、神の霊感を受け、聖霊の充全な指導のもとに記述され、原典において絶対、完全、永遠、無謬であり、信仰と生活における最高、最終的唯一の規範である。」
2 チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念
■チャーチ・オブ・ゴッド(COG)の信仰の特色のもう一つは「チャーチ・オブ・ゴッド三大基本理念」に表現されています。即ち「福音の宣教」、「聖潔の生涯」、「教会の形成」です。
① 福音の宣教
■チャーチ・オブ・ゴッド(COG)はその創群のときから一貫して宣教的な群れです。一人の宣 教師の熱烈な魂を愛する愛から生まれた教団です。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ116:15)と主イエス様が命じられたみ言葉に従い、福音の宣教こそが神からCOGに託された大使命であると受け止めてきました。事実、COGが歩んできた道は文字通り福音の宣教に仕えてきた道であります。そしてこれからもたゆむことなく歩み続ける道であります。
② 聖潔の生涯
■キリストの十字架による贖いによって罪を赦された者が、さらにまされる第二の恵みとして、私たちに与えられている聖潔(ホーリネス)に進むことは、聖書全体にわたって教えられている真理です。ホーリネスに至らない救いは完全ではありません。チャーチ・オブ・ゴッドの群れは、その創立のときからこの教理に立ってきました。「聖潔の生涯」とは教理の理解(神学的にはウェスレー的アルメニアン神学)においても、実践の生涯においてもチャーチ・オブ・ゴッドの中核となる基本理念です。それはおおむね次のように理解するとよいでしょう。人はキリストを信じたとき、罪を赦され救われ義とされます(義認の恵み)。これは行為の罪からの完全な救いです。しかし、人間の性質の罪(Inbred Sin)、即ち「罪の根、古い人、肉の性質」などと表現されている罪は赦しの対象というよりは聖潔を必要とする罪です。聖潔とはこの性質の罪が十字架につけられて滅ぼされ、キリストにあっていのちに生きる事です。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20) そしてキリストを内に住まわせて生きる生活です。「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでくださいますように。」(エペソ3:17) この聖潔の恵みは信仰によって十字架を仰ぐとき、転機的に経験する恵みです。しかし、聖潔の経験は固定的、静的な経験ではなく絶えず成長し続ける動的(ダイナミック)な経験です。そのためには恩寵の手段といわれる聖書拝読、祈り、聖霊の御声への聴従、公会(礼拝、祈祷会、伝道集会等)の出席を心がけることが大切です。「聖潔の生涯」とは、聖潔の転機的体験に重きをおくだけでなく、私たちが聖潔の恩寵の中に日常的に生活することの大切さを示しています。
③ 教会の形成
■「福音の宣教」の結果、人が救われ、「聖潔の生涯」に進むなら、そこに必然的にキリストのからだである「教会の形成」がなされます。救いも聖潔も個人的経験ですが、この救いを受けた者は神の教会(エクレシヤ)を形づくる者とされたのです。 「教会はキリストのからだであり。」(エペソ1:23)、 「…ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12:27)という聖句はそのことを表しています。これは目に見えない不可視的教会(時代、地域を越えて存在する普遍的教会)という概念に留まらないで、目に見える可視的教会(地上に空間を占める地域教会、チャーチ・オブ・ゴッドもその一つ)という具体的な教会を形作ることを意味します。 「福音の宣教」は「聖潔の生涯」に進み、「聖潔の生涯」は「教会の形成」という具体的な形となって結実します。信仰とは単なる実存的な出来事ではありません。具体的に「教会の形成」となって現れるのです。 チャーチ・オブ・ゴッドの群れはこの点において明確な理念をもって教会形成に臨んでいます。福音の宣教⇒聖潔の生涯⇒教会形成の図式は循環して最初の「福音の宣教」の主体となるのです。つまりそれぞれ次の働きの主体となって連続的循環的働きを生むのです。この循環は教会が主の再臨によって天に上げられるまで繰り返される働きです。
(※「COGの神学」より)